優しい略奪者(2) | ||
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「良守?」 訝しげに尋ねてくる兄に、良守は強く抱きついた。 触れていない場所があることが嫌で、広い胸板に顔をぎゅっと押し当てる。 「どうした?」 「……くっついてたい」 「そうか」 答えて、それ以上は何も言わずに抱き寄せてくれた。そして、そのままの姿勢では重いだろうと心配したのか、くるりと体勢を変える。 ベッドに横たわった兄の上に乗っかっている格好だ。 こんなふうにくっついているのは初めてで何とも妙な気分……いや、たぶん体勢のせいではない。背中が心許ないのだ。 この体勢は嫌だと言おうとした時に、兄が手を伸ばして毛布を取る。 それを背に掛けてくれ、そのままくるむようにされたとたんに安堵の溜息をついた。 兄が来なかったら、たぶん自分は死んでいただろう。 そう実感したとたんに寒くて寒くてたまらなくなった。 たぶん、死にかけてあやかしになったという兄には、自分が感じているものが解っているのだろう。だから、何も言わずに抱きしめてくれているのだ。 「兄貴……」 「どうした? 何か欲しいのか?」 「あのさ……ありがと」 そう呟くと、自分を抱きしめてくれている体が僅かに動いた。 「何に礼を言ってるんだ?」 「助けてくれたことと……」 「と?」 「……こうしててくれてること」 そう呟くと、微かに笑った気配がした。 「今日は素直だな」 「……うっせぇ」 言って、ぐりぐりと額を胸板にこすりつけてやる。 とたんに、兄が大きな溜息をついた。 「おまえねぇ。あんまり可愛いことするんじゃないよ」 「はぁ? 何、馬鹿なこと言ってるんだよ?」 「……本気なんだけどねぇ」 「俺が可愛いはずないだろ?」 本気の本気の声音に、さっきより大きな溜息をついた正守は、しばらく視線を彷徨わせた後で口を開いた。 「……なぁ、良守」 「ん?」 「あの瞬間、何を思った?」 「え?」 「俺はね、死にたくないって強く思った。ずっと欲しくて、でも手を伸ばしちゃ駄目だと思っていたものがあって…………でもね、死を目前にした時に凄く後悔したんだ。どうしてもそれが欲しい。手に入れずには、死んでも死にきれない。そう思った」 「それであやかしになったんだよな?」 確か、以前にもその話を聞いたなと思いながら良守が顔を埋めた胸の中で呟く。 それに、兄が頷いた気配がした。 「ああ。あやかしになっても、どうしても欲しいものがあった」 「手に入れたんだろ?」 声に渇望の響きを感じ取って尋ねると、「まあ、半分くらいかな」という答えが返ってくる。 「半分?」 「丸ごと全部欲しいんだけど、なかなかね。でも、絶対に手に入れると決めてるから」 「そっか……がんばれよ」 言ったとたんに、兄が笑った。 下敷きにしている体が微妙に揺れるのが気持ち悪くて、抗議の意を込めて強く抱きついてやる。 「何だよ、何で笑うんだよ?」 「いや。嬉しくて」 「はぁ?」 「おまえに応援されると、上手くいくような気がするからさ」 宥めるように背を撫でられ、その感触が気持ちよくて体から力を抜く。 「俺は…………何か、あの瞬間には実感湧いてなくて」 呟きながら、思う。 確かあの瞬間、兄に怒られるのは嫌だなぁなどと考えていたのだ。太平楽にもほどがある。 「今は、こうしてたい」 そう言うと、ほんの少しだが兄の体が強ばったのが解った。 「兄貴?」 「あのさ…………」 「ん?」 「……いや、いい」 「良くねぇよ。言いたいことあるなら、言えよ」 言いよどむ感じが、「言ってもおまえには解らない」と言われてるような気がしてムッとする。 もしかしたら被害妄想なのかもしれない。 だが、この優秀な兄に対して、自分は昔からコンプレックスを抱いてきた。それはあまりにも長いこと自分を縛っており、時折こうやって顔を覗かせるのだ。 そんな良守の態度に苦笑しながら、正守は口を開いた。 「もし、おまえを助けたのが別の人間だったら、その相手にこうやってくっつくのかって聞きたかったんだけど」 「はぁ?」 予想外の質問に、良守は間抜けな声を出した。 「別の人間って……遠くにいるのに跳んできて、あのあやかしを一瞬で滅して、俺の傷まで塞ぐことができる人間なんてどこにいるんだよ?」 「そういうことじゃなくてね」 苦笑混じりにそう言って、正守が続ける。 「そうだな。たとえば、時音ちゃんがあのあやかしを倒して、おまえの傷も治せたとして…………おまえ、彼女にこんなふうに抱きつく?」 「いや、だって、できないだろ? 時音にはそんなこと」 「できたって仮定して考えてみろよ」 兄の言葉に、何とかそれを想像しようとしてみる。 時音が敵を屠る……ところまではいい。だけど、傷を治してくれるのが上手く想像できない。 だが、できないと言えば、兄に想像力が足りないと言われそうだ。 なので、無理矢理できると仮定する。 仮定したのだが…………死にかけて怖くて抱きつく。の次が、しばき倒される。なのは、どうしてだろう? 「……セクハラ?」 「いくら何でも、死にかけた相手が縋ってきてるのをセクハラとは言わないだろ」 「う、うん」 確かに時音は厳しいけど優しくもあるから、死の恐怖に震える自分を抱きしめてくれる程度のことはしてくれそうだ。 だが…………。 「やっぱり、無理。想像できない!」 「……そうか」 「時音にってのは、やっぱり違うような気がする。俺はまだ力が足りなくて、いろいろ助けられてはいるけど……こういうのは違うっていうか」 言いよどんだ良守に、兄が少し考えた後で呟く。 「時音ちゃんに弱味を見せたくない?」 「当たり前だろ! 俺は時音を守りたいんであって、守られるつもりはないんだよ」 今はまだ無理だけど。 口の中で小さくそう呟いた弟の体を正守は強く抱きしめた。 「俺はいいんだ?」 「え?」 「俺に守られるのはいいの?」 口調がもっと軽ければ、ふざけるなと言えただろう。 だが、兄はひどく真面目な声でそう尋ねてきて、だから良守も正直に答えた。 「だって……兄貴は兄貴じゃないか」 「兄だから?」 「っていうか……」 兄は優秀で、何でもできて。あやかしになった今では、できないことなんてないんじゃないかと思うくらいで。 だから、守られても仕方ないような気がするのだ。 でも、それを言葉にするのは難しくて、良守は再びその額を兄の胸に押しつけた。 そんな良守の髪をくしゃしくゃとかき混ぜて、正守が呟く。 「俺だから?」 「…………うん」 「そうか」 妙に嬉しそうなその声を訝しく思うより先に、体勢を戻された。 ベッドに押しつけられ、顔を覗き込まれる。 「あに…き……?」 「もっと近づこうか?」 「近……づく……?」 「もっと近くに。いや、近いどころじゃない距離まで」 兄が何を言っているのか、解らないほど鈍くはない。 一気に顔を赤くした良守に、正守はゆっくりと覆い被さった。 |
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07'11.02.初稿 |