優しい略奪者(3) | ||
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「あ、あのさ……」 唇が重なる寸前、良守の口から洩れた言葉に正守はぴたりと動きを止めた。 当然ながらほんの数センチしか顔が離れていない状態の兄に、ウロウロと視線を彷徨わせながら良守が続ける。 「兄貴、別に腹減ってないんだろ?」 「ああ」 したくないのか、という言葉を飲み込んで正守は頷いた。 普通なら遠回しの拒絶と取るべきだろうが、良守は嫌な時は嫌とはっきりと言う。もちろん、今は自分とくっついていたいから拒絶しにくいという可能性もあるが……いや、やはりそれでも、今はただ傍にいたいだけから止めろと言うような気がする。 ということは…………。 「腹減ってないのに……俺とそういうことするの…………イヤじゃ……ないの…か?」 語尾は、たぶん言った本人にも聞き取れなかっただろうほどに小さいものだった。が、あやかしになった正守には容易に聞き取ることができるもので。 にもかかわらず、聞き間違えかと思ってしまったのは、あまりに嬉しすぎたからだろう。 良守は自分と寝るのが嫌ではないのだ。というか、このそぶりでは望んでいるように見える。 もしかしたら、さっきのキスは彼なりの精一杯の誘いだったのかもしれない。 そう思うと、勝手に頬が緩んでくる。 だが、そうは言っても、良守が自分のことを好きになって誘ってきた……なんてことはありえない。単に、この行為に馴れたことと、死にかけたという恐怖をごまかすために有用だと本能的に悟っただけだ。 それでも、ここまでの長い道のりを考えると感慨深いものがある。 何も知らなかった体に快楽を教え込み、思いも寄らぬ反応を示す自分の体に戸惑う良守に、それは恥ずかしいことではないと囁き続け。 最近になって、ようやく素直に体を任せてくるようになったのだ。 弱っているからとはいえ自ら求めるくるようになったのなら、また一つステップを昇ったということで。 次の目標はといえば、常の状態でも欲求があれば求めてくる、だろう。 そのためには、自分はどんな状態でも誘われれば拒まないということをちゃんと伝えておく必要がある。 なので、正守は「どうして、そんな当たり前のことを聞かれるのか解らない」という顔で答えた。 「いいや、ちっとも」 「…………へ?」 「正直言うとね、俺はずっと飢えてるの。おまえの体が保たないと思うから、ギリギリまで我慢してるだけ」 言われたことがよほど衝撃的だったのか、口をぱくぱくと開閉させている良守の目をしっかりと見つめながら続ける。 「だから、おまえがしたいならいつ呼んでくれてもいいから。万難排して駆けつけるし」 「し、したいって…………」 「別におかしいことじゃないだろ?」 しれっとそう言うと、何か思い当たる節でもあったのか良守が真っ赤になって顔を背けた。 そのせいで晒された首筋に唇を這わせながら、良守の袴の紐を解く。 腰を上げ、脱がしやすくしてくれることに内心驚きつつチラと視線を上げると、どうやらその動き自体は無意識のものだったらしい。一瞬前まで照れのために真っ赤だったはずの顔は、今は何か妙なことでも考えているのか、顰められている。 「どうした?」 「……兄貴は?」 「は?」 「飢えてるのと関係なしに……し、したくなったりしないのか?」 自分は快感を喰らうことで命を繋いでいると告げているし、良守はそれを信じているはずなのに、この問いはどういう意味なのか? 快楽を喰らわなきゃ死ぬというのは真っ赤な嘘で、実は良守を抱きたいがための口から出任せだったとバレたという可能性は…………まあ、ないだろう。 ということは…………? 「何が聞きたいのか良く解らないんだけど……つまり、おまえ以外の相手と寝てるかどうかってこと?」 どうやら図星らしい。 神妙に頷いている弟の目元が少し赤く、向けられた眼差しは怨じるように濡れている。 その表情に、もしかしたら、自分が思ってるより良守は自分のことが好きなのかもしれないと正守は思った。 ただ、それが恋情だという可能性は限りなく低い。 幼い頃に良守が抱いていた兄に対する思慕が妙な形に歪んだもの。あるいは、体を重ねることで生じた馴れのようなものか。 だが、別にそんなものでも構わないのだ。要は、それを恋情だと思わせてしまえばいいだけなのだから。 そんなことを密かに思い、かつ企みながら、正守は続けた。 「ないよ」 「…………え?」 「何、妙な顔してるんだ。俺が別な人間抱いてると思ってたのか?」 「お、思ってたっていうか……いや、別にそう思ってたわけじゃないんだけど! え、ええと…………」 「あのさ、勘違いしてるかもしれないけど……っていうか、わざと勘違いさせたのは俺なんだけど。空腹を満たすためだけだったら、相手はおまえじゃなくてもいいんだよ」 「はぁ?!」 仰天して目を見開いた弟に、正守は続ける。 「なのにおまえを選んだのは、俺がおまえを抱きたかったからなんだよね」 「…………っ!」 「変だと思う?」 目を覗き込まれた状態で尋ねられ、良守は絶句した。 普通に考えれば、変だ。だって、自分たちは血の繋がった兄弟で、男同士で…………だが、何もしていない頃ならそう言い切ることは簡単だったろう。だが、既に自分たちは幾度も幾度もそういう関係を結んでいる。 最初の頃は与えられる快感をどうしていいのか解らなくて、ただ振り回されていた。 だけど、最近は慣れてきたのだろう。より気持ち良くなるように体が勝手に動くようになり、恥ずかしさに自分を抑えるより先に、兄に我慢するなと囁かれ、より自分が感じる方が兄のためにもなるんだと言い聞かせているうちに、悦楽に溺れることが悪いことではないと思うようになってきていて。 正直に言えば、兄の来訪の間が空くと切なくてたまらなくなることがある。自分でやっても全然満足できなくて、泣きそうになったことも。 何度も何度も兄に電話を掛けそうになっては、我慢した。 だって、兄は飢えを満たすために自分を抱いているのだから、そんなことを言われても困るだろうと思ったし、何より、どんなふうにそれを頼めばいいのかも解らなかったからだ。 兄に抱かれたくて、眠ることもできない。 そんな夜を幾度も過ごした自分には、兄を変だと言う資格はない。 「……なんで…だよ…………?」 「なんでって、どうして俺がおまえを抱きたいかってこと?」 黙ってそれに頷いた弟の、赤く染まった頬を見ながら正守ははっきりと答えた。 「そんなの、好きだからに決まってるだろ。好きでもないのに、血の繋がった弟のこと考えて勃たせるほど俺は変態じゃないよ」 言葉と共に押しつけられた熱塊に、ますます良守が顔を赤くする。 が、同時に怒りがこみ上げてきた。 確かに、最初に自分じゃなくてもいいと聞いていたら、実の兄と寝るなんて選択肢は自分の中には生じなかったろう。 だから、そのことを黙っていたのは、百歩譲って許そう。そこまで欲しがってくれていたのかと……まあ、今だからこそ思えることだろうけど、そんな気にもなるからだ。 だが、それをずっと黙っていたのは…………。 「なんで、それをもっと早く言ってくれなかったんだよ。だったら、あんなこと……」 怨じるような声は、自分で慰めて、だけど我慢できなくて。眠れないまま夜明けを迎えた幾度もの夜を思ってのことだったのだが、兄は別の意味に取ったらしい。 寸前まで何ともいえない優しい目をしていたのに、一気にそれを邪気に染まった赤に変じさせたのだ。 「誰だ?」 「…………あに…き?」 「誰に、この体に触れさせた?」 「は?」 「惚けるな。あんなこと……って、誰に何をさせた?」 殺気混じりの邪気が、室内を満たす。 空気がビリビリと震え、ベッドサイドテーブルに置いてあったガラスのコップがかたかたと音を立てて震え始めた。 「誰に……何を…………?」 兄の発する怒気に怯みつつも鸚鵡返しに呟いて、その意味をようやく認識する。 何をとち狂ったのか、この馬鹿兄貴は自分が他の誰かとこんなことをしていると思ったのだ。 そう思ったとたんに、兄が発している怒気を凌駕するほどの怒りが湧き上がってくる。 「何、馬鹿なこと言ってやがる! このクソ馬鹿兄貴っ!」 久しぶりにこの呼び方したなと思いながら、叫ぶ。 「なんで、俺が兄貴以外とこんなことしなきゃいけないんだよ!」 「…………」 「単に俺は、兄貴が俺のこと好きだって知ってたら、自分でしなくてもよかったって言いたかっただけで!」 「自分で?」 いつの間にか、兄の目の色は普通に戻っていた。 見上げたそれが驚きの色から面白そうなものに変わるのを見て、良守はここから逃げ出したくてたまらなくなる。が、いつもだって自分より体格の良い兄を押し返せないのに、大怪我から回復したばかりで体調が万全と言い難い今の状況ではどうすることもできない。 「自分でしたんだ?」 「わ、悪いかよ…………」 年を考えれば、別に妙なことではないはずだ。ただ、自分と同い年の男が同じような慰め方をしているとはとても思えないのだが。 そんな思いに視線を逸らせた良守の耳元に、正守が口づけを落とす。 「悪くはないけどさ」 そして、そのまま耳に息を吹き込むようにしてそう囁いた。 思わず体を震わせた弟の体を、宥めるような……その実、煽り立てる動きでそっと撫でながら続ける。 「どんなふうにしたのか、教えて欲しいな」 「…………っ!」 「見せてくれるんでもいいけど」 慌てて首を振り、しがみつく。 それを、どうやら自分から離れたくないからと受け止めたらしい兄が、珍しく機嫌が良いことが良守にさえ解るほど声を緩ませて囁いてきた。 「言ってくれれば、その通りにしてやるけど?」 「や…だ……」 「ん?」 「だって…………」 「だって?」 「自分でやるのじゃ……足りないから」 ちゃんと言わないと、兄のことだ。絶対にやらされる。 その思いに、恥ずかしいのが我慢して答える。 自分でも言ったのかどうか不安になるほどの小声だったが、兄にはちゃんと聞こえたらしい。 「おまえ、ねぇ」 苦笑混じりの声が降ってきた。 なんでそんな声を出されるのかと、恐る恐る視線を上げる。と、そんなふうに見られていたことを思い出しただけで勃つだろうこと確実の目をした兄と視線が合った。 当然、そんな目を向けられている良守の体はあっさりと熱を持つ。 そんな弟に、正守は甘く囁いた。 「そんなに、俺にされるの好き?」 「す、好きって…………!」 「ん? 嫌いなの?」 「…………っ!」 頷いてやりたい。 やりたいが、そんなことをしたら酷い目に遭わされることは想像するまでもなくて。 「好きだよ! 悪いかっ!」 だから、自棄になったようにそう叫ぶしかなかったのだが。 「悪いはずないだろ?」 耳まで犯されているような声音で囁かれ、良守は沸騰する頭の中で「何でこんなことに……」と呟くことしかできなかった。 |
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07'11.09.初稿 |