真実の口(2)
「ただいま〜」

 そう言いながら利守が玄関の扉を開けると、すぐ近くから幾人もの「お帰り」という声が返ってくる。
 驚いて視線を上げると、玄関からすぐの良守の部屋の前に正守を含む家族三人が立っているのが見えた。

「……なにしてるの?」
「それがじゃな…………」
「部屋に結界を張って閉じこもっちゃったんだよ」

 言いよどんだ繁守の代わりに、溜息混じりに修史が答える。

「こんな結界を張れるなら、常日頃からやれば良いのぢゃ」

 憮然としつつも少し嬉しそうな口調からすると、たぶん次兄の張った結界を解除しようとして失敗したのだろう。
 でも、長兄なら解除できるんじゃ……そう思いながら視線を移したその先で、正守は何を考えているのか解らない顔でじっと良守の部屋を見つめていた。
 その表情からすると、できるけどやらないというところか。祖父に遠慮しているのか、最初から強硬手段はまずいと思っているのか。

 それにしても、と思う。
 自分や父や祖父の前では心の声を晒されることを気にもしなかったのに、やはり長兄相手では抵抗があるらしい。
 その事実に、利守はこっそりと溜息をついた。
 心を許してもらえていると喜ぶべきなんだろうけど、何となく負けたような気がするのはどうしてなんだろう。
 そう思いながら口を開く。

「実は、お客さんがいるんだけど」
「お客さん? でも、今は…………」

 息子の友人は歓迎したいが、今は状況は状況だ。もてなすことなどできるはずがない。
 そう考えていることが丸わかりの修史の困惑顔に、慌てて利守は続ける。

「良兄がああなった原因知ってるって言ってる人……じゃないか。えっと…………」
『ちわ〜でゴワッス』

 要領の得ない利守の紹介が終わるより先に、その背後から妙なポーズで姿を現した人物を見て、繁守が目を見開いた。

「キヨコ!」
「え? え? え?」

 見えていないらしい修史はキョロキョロと辺りを見渡している。
 そんな父の隣で、正守は少女の姿をした浮遊霊に鋭い視線を向けた。

「お祖父さん、浮遊霊と知り合いなんですか?」
「知り合いちゅうか……おまえも聞いたことがあるじゃろう。烏森七十七不思議の一つぢゃ」
「…………ああ」

 納得したように頷いた正守に、繁守が続ける。

「そういえば、良守が会ったと言っておったな。……おぬし、良守にいったい何をしおったんじゃ!」
『うちやない』

 ヒラヒラと手を横に振りながら、キヨコが答える。
 そんな彼女に、冷たい声で正守が呟いた。

「だが、無関係というわけではない」
『まぁな。悪ぃと思ったから、こうして説明に来たんや』
「では、説明してもらおうか」

 自分には穏やかな顔しか見せたことのない長兄の威圧感のある眼差しに、自分に向けられたわけでもないと解っていても思わず身を強ばらせてしまった利守とは逆に、キヨコは平然とそれを受け流している。

『何遍も同じ話をするのは面倒や。あのボケをその結界から引っ張り出してから、まとめて話したる』

 その言葉に、正守がチラリと良守の部屋へと視線を投げた。
 何があったのか、それともこれが良守に起きたことだからなのか。正守の目にはいつも湛えられている余裕の色が薄い。

 このままだと、良守は無理矢理引きずり出されることになる。
 そんなことになったら、意地っ張りの次兄がどんな反応を示すのか。
 想像するだけで頭が痛くなるような大騒ぎを回避するため、利守はとりあえず良守が結界から自主的に出てくるようにし向けるべく動こうと決意した。

「あ〜。良兄は僕が何とかするから、とりあえず居間に行ってて」
「何とかって、どうする気なんだい?」
「思いついたことあるから」

 そう父に答えて全員を追い立てると、一瞬だけ長兄が視線を投げてくる。
 いつも自分に向けてくれているものとは雲泥の差の剣呑なそれに、何となくげんなりとした気分になった。

 正守と良守の間に、いろいろと複雑なものがあることは利守も良く知っている。
 単純に考えても、有能でやる気もあるのに方印が出なかった長兄と、才能はあるんだろうけどやる気に欠けてる正統継承者の次兄、なんてのが揃った時点で確執が生じないはずはない。
 自分が物心付いた時には既に長兄は家を出ていたから詳細は不明なのだが、たぶんそれまでにいろいろあったのだろう。二人の間には何とも微妙な空気が流れているのが常になっていた。

 以前は、そんな二人の空気に胸を痛めて何とか仲良くさせてみようと試みてみたり、反対にそんな不穏な空気を醸し出されるくらいなら引き離した方がいいのかなと思ったりもした。
 が、しばらくして気付いたのだ。
 自分が何をしてもしなくても、この二人は変わらないと。
 次兄は頑固だが単純なので、話の持って行きようでは改善の余地ありという感じなのだが、長兄がまったく変わるつもりがないのでは話にならない。

 もっとも、長兄はずっと変わるつもりがないわけではなく、時期を見ているらしいこともだんだんと解ってきたので、利守は二人の間に立とうなどという馬鹿馬鹿しい努力は止めて、二人の兄にはそれぞれ個別対応することにしたのだが…………。

「もしかして、無害認定外れちゃった?」

 巻き込まれるのはゴメンだと思いつつ、呟く。と、すぐ傍ら声が降ってきた。

『あんたも大変やなぁ』
「……それに拍車掛けたの誰だよ?」
『うちは、ちぃっとばかし噂話しただけやで』
「そのせいでこんなことになってるんだろ?」
『噂話は女のサガや』
「…………」

 これは、良兄ともめたろうなぁ。
 そう思いながら、玄関を出て次兄の部屋に窓から近づく。
 ひょいと覗き込むと、ぼんやりと外を見ていたらしい良兄と目が合った。

「原因解ったよ」

 口の動きで解るかなと思いながらそう言って、念のためにとノートにそれを書いてかざす。と、目を丸くした良守がガバリと身を起こした。
 結界を解除してくれるかなと思いながら見ていると、自分の傍らで部屋に覗き込んだキヨコに気付いたらしく何事か叫びながら暴れ回っている。

「あ〜キヨコさん。居間に行ってて」
『相変わらず、落ち着きのないヤツやなぁ』

 そう言いながらも去っていってくれた彼女を見送った後で、利守はノートに「ともかく、説明するから居間に来て」と書いた。
 が、それを見たとたんに良守はピタリと動きを止め、実に嫌そうな顔でそっぽを向いてしまう。
 予想された反応に溜息をつきつつ、利守は新たなページに「二つ目の口のところに、条件指定で防音結界を張ったらどう?」と書いた。
 と、結界の中で、良守がポンと手を打っている。

「おまえ、賢いなぁ」

 声は聞こえなかったが、満面の笑みと共に言われた言葉くらいは口の動きが読めなくても解った。
 こんな表情、自分に向けられたところを見られなかったのは良かったんだろうなぁと思いつつ、ノートをランドセルにしまっていると防音結界を解除したらしい良守が窓際に寄ってくる。

「で、キヨコのヤツ、何したんだ?」
「…………居間で説明するよ。何回もあんな話するの嫌だし」
「…………そんなに嫌な話なのか?」

 話自体は愉快なものなのかもしれない。当事者の関係者でなければ。
 それに、問題は話そのものより、それに二人の兄がどう反応するかということで…………。

「ともかく、居間でね」
「…………解った」

 これから起こるだろう騒ぎに憂鬱な気分で呟いた利守に、どんな想像をしたのか良守は引きつった表情で頷いたのだった。 
07'08.28.初稿