真実の口(1) | |||
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それに最初に気付いたのは、利守だった。 「良兄?」 「ん〜?」 いつものごとく寝惚けた返事の後で、言葉が続く。 『何だ、利守?』 「えっと…………」 『それ』のあまりの非現実さに見なかったふりをしたくなった利守だったが、ここで放置した後に起こるであろう騒ぎを考えると、そういうわけにもいかないだろう。 なんで父も祖父も気付かないかなぁ。気付いてくれれば、こんなこと口にしなくてもいいのに。 そう思いつつ、利守は口を開いた。 「それ、何?」 「……それ?」 『何だよ、はっきり言え』 この時間に珍しいくらいに明瞭な良守の声に、さすがに修史や繁守も不思議になったのだろう。訝しげな顔になった。 「良守?」 「どうしたんじゃ?」 「別に……」 眠そうな声で放たれるどうでもよさそうな答えの後に、はっきりした声が続く。 『俺じゃなくて、利守に聞いてくれよ』 ちょうどその時、良守は卵焼きを口に含んでいた。 寝惚けつつもしっかりと噛みしめているその様子と、はっきりした口調。 あり得ない組み合わせに、修史と繁守が顔を見合わせる。 その悠長な様子に我慢できなくなって、利守はそのものズバリな答えを口にした。 「確か、妖怪二つ口っていうのいたよね?」 「んぁ?」 『何言ってんだ、利守?』 「あんな感じ。良兄の後頭部にもう一つ口があって、さっきから喋ってる」 その言葉に、修史と繁守が同時に立ち上がって良守の後へと回り込む。が、未だ寝惚けているらしい良守は、「はぁ?」などと呟いている。 『馬鹿なこと言うなよ。人間の頭に口があるなんてことあるはずないだろ?』 笑いを含んだその声が、当のそのもう一つの口から放たれているというのはなかなかにシュールな状況だ。 ちょっと遠くを見ながらそんなことを考えていた利守の耳に、良守の後頭部を覗き込んだらしい修史と繁守が「ぎゃあっっ!」とか「うぉっっっ!」とか叫ぶ声が響いた。 いくらあやかし退治を代々生業にしてきた一族だからって、朝っぱらから家族が妖怪二つ口になるなんて非常識はいただけないと思うんだけど。 そんなことを考えていた利守の背後で、最初の衝撃から回復したらしい繁守が叫ぶ。 「正統継承者が妖怪に取り憑かれるとは何事じゃぁっっっ!」 「うるせぇ、じじい」 『取り憑かれてるなんてことあるはずないだろ。なに馬鹿なこと言ってるんだ』 真後ろで覗き込んでいた修史は、たぶん良守の後頭部についている口が語るのを見てしまったのだろう。固まってしまっている。 「……確かに、妖気は感じないね」 このままだと事態は混乱の一途を辿る。 修史と繁守があたふたしている間に良守が学校に行くと言い出したら面倒だ。烏森は確かに非常識な場所だが、日中まで妖怪二つ口の伝説で彩ることはないだろう。 そう思っての利守の言葉に、何かを叫ぼうとしていた繁守がピタリと口を閉ざした。 「……確かにな」 「じゃ、じゃあ、妖怪に取り憑かれたって訳じゃないんですね!」 息子の一大事に涙声になっている修史のその声に、さすがに良守も異常事態を悟ったらしい。カクリと首を傾げた。 「あのさぁ」 『さっきから何言ってるの? 妖怪二つ口っていったい…………』 言いかけた言葉が途中で止まる。 一瞬前までさも眠そうにほとんど閉じられていた目が、大きく見開かれた。 「え? え? え?」 『なんで、言ってないことまで声に出てるんだ?』 「うわぁっっっ!」 『何、何、何なんだぁっっっ!』 どうやら、後頭部に出来た口は、良守が言わないでいる言葉を代弁しているらしい。 まったく違う存在が取り憑いて喋るのと、どっちがマシだったんだろう。首を傾げつつ、呟く。 「そういえば、妖怪二つ口ってもう一つの口でご飯は食べるけど、お喋りはしてなかったはずだよね。だったら、やっぱり違うのかな?」 『俺は妖怪じゃねぇ!』 「それは解ってるって」 なんか慣れてきたなぁ。と思いながら、利守は頷いた。 「で、そっちの口はご飯食べるの?」 「…………!」 『おまえ、なんてこと言うんだ!』 本人は絶句しているが、後頭部の口がその心の叫びを代弁している。が、口本人にもはっきりしたことは解っていないような感じだ。 と思っていたら、答えは予想外のところから返ってきた。 「食べるのは無理なんじゃないかな? ここにあるのは形だけって感じだよ」 見ると、修史が良守の頭に出来た口に指を突っ込もうとしている。が、邪魔されているわけでもないのに、どうやら指先のあたりで止まってしまっているらしい。 我が父ながら、気弱なのか剛胆なのか解らない人だなぁと感嘆しながら、利守は答えた。 「そっかぁ。そうだよね。良兄が妖怪二つ口になったんじゃなければ、その口に消化器官が繋がっているわけじゃないんだから、食べられるはずはないか」 「……よかったよ。妖怪二つ口は一升も二升もご飯食べるみたいだし」 利守の言葉に家計のことを心配してしまったのか、ホッとしたように呟いた修史に、難しい顔で繁守が口を開く。 「修史さん、そういうことを言ってる場合では……」 そう言いつつも、あまりにも異常な事態にどうするべきか思いつきもしないのだろう。祖父はそれ以上は何も言わず、難しい顔で考え込んでいる。 この家の人間って、危険度が低い突発事態に弱いよね。 確かに、命懸けであやかしと戦っている身では多少のことなんてどうでも良くなるんだろうけど、一緒に暮らす身となれば、その多少のことをフォローしなくてはならないわけで。 自分が同じ年の友だちよりしっかりしてると言われるのは、絶対に家族のせいだ。 そんなことを思いながら、利守は口を開いた。 「ともかく、良兄。学校には式神送っておいたほうがいいんじゃない? あるいは、欠席の連絡入れるか」 とりあえず、現実的な問題を解決しておいた方がいいはずだと思いながらそう言うと、良守は「そうだな」と頷き、もう一つの口が『ありがとう。おまえは頼りになるなぁ』と続ける。 状況に慣れてきたのか、それとも今のは別に口にしても構わない程度のことだったのか。良守は特に変わった反応は見せず、おそるおそるという動きで後頭部に手を回し、「うわぁっっ! 本当に口があるよ!」と叫び、その口で『気持ち悪ぃ』などと言っている。 順応が早いというか、何というか……この状況が怖くないのだろうか、と利守は不思議に思った。 人間には誰しも口に出さずに飲み込んでいる言葉が山のようにあるはずで。 それは、どちらかというと素直で言いたいことは全部口に出しているように見えている兄だって同様のはず。それが全部、勝手に言葉になって出てしまうのだ。 自分なんかだと、想像だけでも恐ろしいのだが。 「何か思い当たる節は?」 「思い当たる節?」 『別にそんなものねぇけど』 「昨日、烏森で何かあったとか?」 「いや。特に変わったのが来たわけじゃないし」 『けっこう静かな夜だったしなぁ』 良守一人を相手にしているはずなのに、やっぱり妙な感じだなぁ。 そう思いつつ、利守は考えた。 心当たりがないと言う以上、何か思い出せと言っても無駄だろう。何かあったとしても、良守には些細なことすぎて思い出せないようなものなのだ。斑尾に聞こうにも、今はまだ朝。時間が早すぎる。 チラリと時計を見ると、登校時間が迫っていた。 非常識な家系だからこそ日常生活を普通に過ごしてほしいと思っているらしい父も、さすがにこの状況では学校に行けとは言わないかもしれないが、自分がいても何にもならないことは解っている。 それに、今から告げる自分のアドバイスが実行されれば、騒ぎは今の比ではないくらい大きくなるのは確実。それに巻き込まれるのはなるべくなら避けたい。 「あのさぁ」 「何だ?」 『何か思いついたのか?』 期待に満ちた眼差しは、良守だけでなく修史や繁守からも投げられている。 父と祖父は頷いてくれるだろうけど、兄は嫌がるだろうなぁ。と思いつつ、事態を解決するために自分が思いついた案はこれ以外にはない。 「なんて良兄がそんなことになったのか、ちゃんと調べた方がいいと思うんだ」 「そりゃそうだろうけど……」 『でも、その方法なんて思いつかねぇよ』 拗ねたような心の声に苦笑しながら、利守が続ける。 「うん。僕にも思いつかない。たぶん、父さんやお祖父さんにもだと思う」 「利守……?」 『おまえ、まさかっ!』 焦りまくったような良守の声に「ごめん」と心の中で呟きながら、利守は続けた。 「正兄を呼ぶべきだと思う」 「…………っ!」 『嫌だっ!』 きっぱりと言い切った利守の言葉を覆い隠すように、否定の叫び声が響き渡った。 |
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07'08.023.初稿 |