聖夜の贈り物(2) | ||
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その老人は、毎年クリスマスイブに良守の前に姿を現す。 初めて会った七歳の時にサンタクロースと間違えて以来、わざわざその日を選んでやってきてくれるのだ。 正体を知って以来、何度か言おうと思っていた「別の日でいいぜ」という言葉を発してなくてよかったとしみじみ思ったその理由である子どもたちは、良守がここなら烏森の影響を排除できるだろうと判断した上空の結界の中で、わくわくした気持ちを隠しもせずに騒いでいる。リーダー格らしい少女が時々注意しているのだが、数分間は大人しくなるものの、すぐにまた騒ぎ出し、今度は亜斗羅に怒られる。 そんなことの繰り返しだ。 あやかし混じりの子どもたちが烏森の影響を受ける可能性を斑尾に指摘するまで考えていなかったのは馬鹿だったが、瓢箪から駒というべきか、上空に浮かんでサンタクロースを待つというのは悪くなかったと思う。 常では来ることができないほどの高さ、街の灯り。そんなものが、より以上に子どもたちを楽しませているらしい。 じっとしてなんていられないというように結界内を走り回っている子どもたちの様子を、良守はどこか遠いところを見るような気持ちで見つめていた。 異能ゆえに親に疎まれ、捨てられるようにして夜行に預けられたという子どもたちは、そんな過去が嘘のように屈託ない笑みを見せている。 でも、彼等が傷ついてないはずはないのだ。 大好きな人から疎まれるのは辛い。その人が自分を疎む理由が、自分にあると解っているから、よけい辛い。 こんなものがなければいいと思った刻印は、だが、願えば消えてくれるようなものではなく。 あの子たちだって、たぶん自分の異能を「なければいい」と思ったことはあるだろう。 そんな子どもたちが屈託なく笑えているのは、たぶん夜行の人たちが彼等を可愛がっているからだ。 そのことを良かったと思いつつ心が痛むのは、自分が決して得ることができなかったものを彼等が当然のように甘受していることを知っているからだ。 いつになったら、そのことで心が痛まなくなるだろう。 そう思ったところに、馴染んだ気配を感じた。 『来たみたいだね。相変わらず時間ぴったりだ。律儀だねぇ』 斑尾の言葉に振り向くと、痩せた老人が突如として虚空から結界内へと現れたところだった。 サンタクロースらしいのは、長く白い顎髭くらい。着ているのも、白くて長いズルズルした服だ。 その姿に、子どもたちから本物かどうか訝しむ声が聞こえてきたのだが、老人はまるで気にしたそぶりもなく良守に話しかけてきた。 《メリークリスマス、良守くん》 「メリークリスマス、一年ぶりだな爺さん」 良守がそう答えると、老人は楽しそうにふぉっふぉっふぉっと笑い声を上げた。 その邪気のまったくない存在に、亜斗羅が安心したように息をついたのが解る。 良守の「絶対に大丈夫」という言葉を信じてくれてはいたのだろうが、最終的には自分の目で確かめなければと思っていたのだろう。まあ、子どもたちの引率を引き受けるのならば、そのくらいでなければ困るというものだ。 《今年はずいぶん沢山のお客さんがいるようだね?》 「おう。昔の俺と同じこと考えてるヤツラなんで、よろしく」 そう良守が言うと、老人はスーと滑るように子どもたちの前へと結界の上を移動した。 《メリークリスマス!》 「め、めりーくりすます」 言い慣れない言葉なのだろう。ちょっと棒読みにそう答えた少年が、勢い込んで尋ねた。 「ねぇ、本物のサンタクロースなの?」 《おまえさんの思ってるサンタクロースとはどんなものなんじゃ?》 「え?」 予想外の問い返しに絶句した少年の代わりに、別の少年が答える。 「いい子にオモチャをくれる、赤い服着たお爺さん!」 《じゃあ、ワシは偽物じゃな。赤い服も着ておらん。オモチャももっておらん。子どもをいい子、悪い子と分けたりもせんぞ》 そう答えて、白い髭の老人はまたもやふぉっふぉっふぉっと笑い声を上げた。 《ワシは願いを叶えてやるだけじゃからのう》 「願い……?」 《そう。その人が一番強く願っていることを一つだけ叶えてやるのじゃ。と言っても、「時を戻してくれ」とか「人の心を変えてくれ」とか「死んだ人間を生き返らせろ」という望みは叶えてやれん。あと、「人類殲滅」とか「世界平和」とか、あまりにも大勢の人間が巻き込まれるようなものも無理じゃなぁ。「幸せになれますように」とかいうあまりに抽象的なものも難しいのう》 「じゃあさ! 僕の願いを三つ叶えてって言ったらどうなるの?」 ちょっと意地悪そうな声で別の子どもが尋ねる。 お約束と言えばお約束な質問に、老人は笑顔のままで返した。 《それが、坊の一番の望みなら叶えるやるよ》 「じゃあ、叶えてよ!」 悪ガキの顔で言い募った少年に、だが、老人は首を振る。 《それは坊の一番の望みじゃないからのぅ》 「え〜! 何だよ! 嘘つきっ!」 《嘘じゃない。坊の本当の望みは…………》 そこで老人の声は途切れた。 言い募ってくる子どもにだけ聞こえるようにしたのだろう。 だが、老人が何を言っているのか良守には手に取るように解った。解らないはずがない。かつて自分も通った道だ。 それは、たぶん…………。 「ち、違う! 嘘つきっ! 嘘つきっっっ!!」 パニックを起こして叫ぶ少年を慌てて亜斗羅が抱きしめ、そして、きつい眼差しで老人を睨み据えた。 「あなた、この子に何を言ったの!」 《その子の本当の望みが何なのかじゃよ、お嬢さん。お嬢さんの望みは…………》 再び老人の言葉が聞こえなくなった。 が、それは亜斗羅には聞こえているのだろう。みるみるうちにその顔が真っ青になる。 「……とんだサトリの化け物ね、アンタ」 《本来、ワシは人に気付かれぬままにその望みを叶えて歩くものなのでな。その人間の望みが何なのか解らぬことにはどうしようもあるまいて》 そう言った老人の視線が、スッと一人の少女へと移った。 騒ぎ立てていた皆を宥めたり叱っていたリーダー格の少女だ。胸に、縄で作られた人形のようなものを抱いている。 《嬢ちゃん、嬢ちゃんの一番の望みは……ふむ。これは皆に聞こえても構うまい。『仲間を守りたい』か。じゃが、何からかな? そこな坊も、妖獣使いのお嬢さんも、自らの心の内にあるものによって傷ついている。他人がそれを救うことはできぬのじゃ》 「でも……っ!」 《人の心を変える望みは叶えることができぬ。嬢ちゃんの望みはそれに類するものじゃからな。悪いが、叶えてやれないのう》 仲間を守りたいという健気な心根に打たれたのか、本気で申し訳ないような声で老人がそう言った。 この老人を相手にしても無駄だと判断したのだろう。亜斗羅が、固い声で尋ねてくる。 「良守くん、このお爺さん何者?」 「何者って……オレにとってはサンタクロースですけど」 「良守くん!」 「いや、だって。毎年、望みを叶えてもらってますし」 予想外な展開だなぁ、と頬をぽりぽり掻きながら困ったように良守が呟いた。 「それが、オレにとっては最高のクリスマスプレゼントなんで」 「良守くん…………あなた、いったい……」 たぶん、その望みは何かと言いかけたのだろう。 だが、亜斗羅はそれを口にしなかった。さっき老人に指摘された一番の望みが自分に与えた衝撃を思ってのことだろう。 しかし、子どもたちがそんな遠慮をするはずがなく、「何をお願いしたんだよ!」と口々に騒ぎ出す。 それに軽い笑いを洩らして、良守は言った。 「オレが何をお願いしてるかはともかく……この爺さんに望みを叶えてもらうコツを教えてやるよ」 《これこれ、良坊。おまえさんはヒントなしでコツを手に入れたんじゃ。この子たちにもそうさせるべきではないかね?》 「うっせー。さぼるな、じじい」 老人の抗議を一言で切り捨てて良守は続けた。 「コツはこうだ。まず、叶えたいと思う願いの中で、時間が掛かっても自分で叶えられるものは外す。だって、それは自分でいつか叶えればいいだけのことだろ? わざわざサンタクロースにお願いするまでもない」 その言葉に軽く首を傾げていた子どもたちが、「強くなるとか?」「術が巧く使えるようになるとか?」と尋ねてくるのに、良守はおもむろに頷いた。 「それは、修業すれば身につくことだからな。次に、サンタクロースでも絶対に叶えられない望みを外す……『誰かに好かれたい』とか、『死んじゃった人を生き返らせたい』とか、『昨日に戻ってやり直したい』とか。そういうのを」 今度は誰一人口を開かなかった。 それはそうだ。大抵の場合、人間が一番強く望むことは今言ったようなことで。自分の力ではどうしようもないから望むのに、それを駄目だと言われたら、叶えてもらえる望みなんてほとんど残らない。残っていたとしても、それは本当に些細なもので……たぶん、願っても願わなくてもいい程度のものだろう。 だが、時としてその些細なことが心を支えることもある。 「残ったものの中で一番の願いを見つけたら、この爺さんの前に立ってる時だけでもいいから他の望みより強くそれを願う。以上」 言い切った良守に、亜斗羅は不思議そうな眼差しを向けた。 「良守くんは、毎年そうやってるの?」 《良坊は毎年同じ望みじゃからのう》 ふぉっふぉっふぉっ。と笑いながら老人が言った。 《そろそろ違う望みを叶えさせて貰いたいものじゃよ》 「うっせー、じじい! どんな望みを持とうとオレの勝手だろ!」 《たしかにそうじゃがの》 呟いて、老人は何とも表現しがたい眼差しを良守に向けた。 《他の望みを持ってはくれまいかと思うこともあるのじゃよ》 「…………」 黙って俯いた良守の横顔に浮かんだ思いもかけない影に、亜斗羅が目を見開く。 明るくて、まっすぐで、情に篤い正義漢。まるで太陽のようだと思っていたそのイメージが、急速にぶれ始める。 だが、亜斗羅がそれを深く追求することはできなかった。 子どもたちが口々に叫び始めたからだ。 「ラーメン!」 「肉まん!」 「ケーキ!」 「車のオモチャ!」 望んでいることから、前述の2パターンを除いた後に残る望み。それも、子どもたちのものと言えば、食べ物かオモチャか。そんなものに相場は決まってる。 《その望みらなら叶えてやれるぞ。おまえたちは、近いうちに欲しがってるものを手に入れることができるじゃろうて》 ふぉっふぉっふぉっ。 特徴的な老人の笑い声と子どもたちの歓声と。 思わず苦笑を洩らしたその時には、良守の顔にはいつもの屈託のない笑みが浮かんでいたのだった。 |
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2007年クリスマススペシャル |