真実の口(4)
 翌朝、目覚めてみたら家の中はどんよりとした空気に満ちていた。
 居間に行くと、相変わらず後頭部に防音結界を張ったままの次兄がふてくされて座っている。

「おはよう」
「おはよう」

 答えてくれたのは長兄で、祖父は難しい顔で腕を組んでおり、父は朝食を机の上に並べながらも心配そうに次兄を見ていた。
 そんな一家の様子を見渡しながら、利守が口を開く。

「やっぱり、時姉じゃダメだったんだ」
「『やっぱり』って何だよ!」

 ムッとしたように叫んだ良守に、利守が真面目な顔で答える。

「だって、良兄が時姉に秘密持ってるように見えなかったし」
「…………っ!」
「言いにくいことがあるようにも思えなかったから」

 サラリと答えると、次兄はふてくされたように顔を背ける。
 恋愛成就のおまじないなのに、好きな相手のはずの時音でダメだったことによっぽどショックを受けているのだろう。

「それにしても……時音ちゃんがダメなら、どうすればいいんだろうね?」

 心配そうな父の声に、その場を沈黙が支配する。
 それを破ったのは、祖父だった。

「妖怪二つ口になっているという話を受け入れることができて、良守が好きになっても構わないおなごか……正守、心当たりはないかの?」
「お祖父さん……」
「何、馬鹿なこと言ってやがる!」

 顔を蹙めて何か言おうとした正守の言葉を叩き切るようにして、良守が叫んだ。

「なんで、そんな話になるんだ!」
「馬鹿もんがっ! そんなモノを付けて、戦えるとでも思ってるのか! 立てた作戦をペラペラ喋られたらどうする!」
「防音結界張っておけばいいだけの話だろ!」
「でも、学校には行けないよね」

 このままだとヒートアップしていくだろう二人を抑えるためにそう口を挟むと、祖父は満足げに胸を張り、次兄は「うっ」と呟いて口を閉ざす。
 そんな二人を見ながら、利守は続けた。

「でも、知らない人を連れてきてもらっても無駄じゃないかなぁ」
「え?」
「だって、それって素直に言えないことを言わせるための口でしょ? 良兄はどっちかっていうと人懐っこい方だし、言ってることと内心と違わないみたいだから、そんなふうに構える相手ってあんまりいないと思うんだ」
「むむむ」

 今度は祖父が唸り出す。
 それを横目に、「じゃあ、どうすればいいんだよ?」と良守が尋ねてきた。
 五歳も年下の弟に真剣にアドバイスを求めてくるくらいおおらかというか、度量が広いというか……そんな人間が、内心思っていることを決して知られたくないと思っている相手なんてたった一人しかいないことを、なんで誰も気付かないのかな。と、利守は思う。

 チラと見ると、正守は相変わらず何を考えているのか解らない顔をしていたが、利守の視線に気付くと僅かにその目元を緩めた。
 どうやら、長兄には話の流れは解っているらしい。が、自分が口を挟むよりは末弟に言わせた方が角が立たないと判断しているのだろう。
 まあ、確かにそうだよね。と思いつつ、利守は口を開いた。

「昨日それに気付いた時、良兄は別に慌てなかったよね? つまり、お祖父ちゃんやお父さんや僕に対しては、聞かれて困るようなこと考えてないってことでしょ?」
「あ〜。まあな」

 ぽりぽりと頬を掻きながら、良守は頷いた。

「時姉にだって、そうだった」
「一応、ずっと聞きたくても聞けなかったこと、口は勝手に喋ったぞ」
「…………ちなみに、何?」

 たいしたことじゃないんだろうなと思いつつ、好奇心に駆られて尋ねる。と、次兄は待ってましたとばかりに叫んだ。

「チョコレートケーキだ!」
「は?」
「時音はチョコレートケーキよりチーズケーキがいいって言うんだ! なんでだ? チーズケーキなんて、結局はチーズの味しかしないじゃないか!」
「……チョコレートケーキはチョコの味だけじゃないの?」
「違〜う! チョコレートケーキは奥が深いんだ! スポンジにチョコレート、ナッツに、クリームだっていろいろで!」
「チーズケーキだって、焼いてないのとか、ふわふわのとかいろいろじゃない。フルーツのソースが入ってるのもあるし」
「……そりゃそうだけど」

 チョコレートケーキにこだわる次兄にとって、チーズケーキの方が好きだという言葉は理解できないものだったのだろう。
 しかし、本音を晒して聞いたことがそれとは…………。
 良兄は、本当に時姉のことが好きなんだろうか? なんか、恋愛感情というよりは大好きなお姉さんの話を聞かされているような感じなんだけど。

「まあ、それじゃ、もう一つの口は消えないだろうねぇ」

 なんかちょっと馬鹿馬鹿しい気分になってそう言うと、次兄は拗ねたような顔で「なんでだよ?」と尋ねてくる。
 それに半ば呆れながら、利守は答えた。

「だって、なんでチョコレートケーキよりチーズケーキが好きかなんて、どうしても言いたくない話じゃないでしょ?」
「ん……まあ、そりゃそうだけど」

 でも、聞くのに勇気必要だったから、昨日まで聞けなかったんだけど……などと呟いている次兄を無視して、利守が続ける。

「もう一つの口を消すためには、素直になれない相手に素直にならなきゃいけないって話なんだから、その程度のことじゃ無理だと思う」
「…………何が言いたいんだ、利守?」

 ようやく話の流れに気付いたのか僅かに身を引いた次兄の背後に、気配を殺した長兄が移動したのを確認した後、利守は決定的なそれを口にした。

「つまり、良兄が二つめの口に防音結界張らなきゃ会いたくないってごねた人とちゃんと向き合えば、それは取れるんじゃないかって思うんだよね」
「…………っ!」

 その提案に猫みたいに飛び上がって逃げようとした良守の襟を、ひょいと長兄が捕まえる。

「は、離せっっっ!」
「道場使いますよ」

 冷静な長兄の言葉に、祖父と父がホッとしたように頷いている。真っ青になっているのは、当然ながら次兄だけだ。

「と、利守……」

 縋るような眼差しに心は痛んだが、良兄が妖怪二つ口じゃなくなるためにはこれしかないと思うし、だいたい、表情に出さないまでもウキウキした様子の長兄に逆らうのは怖すぎる。
 なので、利守は爽やかな笑顔で「頑張ってね、良兄」とエールを送るにとどめたのだった。



 数時間後、真っ赤な顔で泣きながら走り出てきた次兄の頭からもう一つの口が綺麗に消えていたことは、言うまでもない。
07'09.05.初稿