レディ・パンプキンの挑戦(4)
「あた〜り〜」

 その言葉と同時に、レディ・パンプキンはポンと弾けた。
 同時に、その場所からひらりと何かが落ちてくる。『それ』を素早く懐に押し込んだ正守は、素知らぬ顔で二人がいる場所へと足を運んだ。

「終わったよ」
「ありがとうございます、正守さん」
「…………」

 にこやかに礼を言った時音と裏腹に、良守はそっぽを向いている。
 どうやら、二人ともに正守が『それ』を隠したことには気付いていないようだ。

「ともかく無事に終わって良かった。二人とも疲れただろ? 今日は最後まで付き合うつもりだけど……」
「さっさと帰れ」
「良守っ!」

 時音が弟の頭に拳を叩き込むのを見ながら、正守が続けた。

「良守が拗ねちゃってるからね。俺は上から見てるよ。手が足りないようなら手伝うから」
「すみません」
「いやいや。こっちこそ、不肖の弟が迷惑掛けてごめんね」

 ハハハと笑いながらそう言うと、同意する訳にもいかないが、否定することもできないという顔を時音がした。
 そんな彼女の反応にショックを受けたのか、良守が再び地面に懐いている。
 感情によって力の出し具合が左右される良守のことだ。これでは、たぶん今日はほとんど使い物にならないだろう。体力だって尽き掛けているのだろうし。

 まあ、ともかく、烏森が本当に騒がしくなる時間まではあと一時間ほどある。こっちの仕事はその間に終わるだろう。良守が嫌がっても、来たあやかしのレベルによっては強引に介入すればいいだけのことだ。
 そう考え、ひらひらと手を振って結界を駆け上がる。

 途中、ふと視線が合った斑尾が何とも奇妙な顔でこっちを見ていることに気付いた。
 さすがに四百年も生きている妖犬だ。もしかしたら、何かに気付いたのかもしれない。が、それを良守に言ったとしても、彼が追ってくる可能性は低いだろう。

 あの日以来、弟は自分と二人っきりになることを必死に避けている。そんな状況に陥るかもしれないからこそ、自分の出現にあれだけ拒絶反応を示しているのだ。
 まあ、その反応自体、正守の目には仔猫が毛を逆立てて必死に威嚇しているようにしか見えず、つまり「可愛いなぁ」などと思っていたのだが。

「さて」

 烏森の上空。さっきまでいた場所よりずっと上、良守たちの動きを見ようと思ったらかなり目を凝らさなくてはならない場所まで駆け上がった正守は、レディ・パンプキンの残骸である物体を取り出した。

 札……に見える。が、書かれている文字も絵柄も日本のものとは思えない。
 松戸の守備範囲の広さに眉を顰めつつ、正守はそれに向かって話しかけた。

「そこにいらっしゃるんでしょう?」
『さすがだねぇ、正守くん』

 するりと手の中の札がすり抜け、形を変える。
 こんなところまでハロウィンに拘らなくてもいいだろうに、コウモリだ。まあ、シーツを被ったオバケの格好をした使い魔よりマシか。
 そう思いながら、正守は続けた。

「悪戯が過ぎるとはお思いになられませんか?」
『ん〜。でも、実害はなかったろう? 烏森が本当に忙しい時間は避けたし、タイムリミットが来てもそう大変なことにはならないようにしてあったしね」 

 ヒッヒッヒッという笑い声と共に流れてきた声に、正守が眉を顰めた。

「精神体のあやかしが出てくると、良守たちが言っていましたが?」
『うん。確かに精神体のあやかしだよ。純粋な、ね。だから、何かに取り憑かないと実体化できないんだ』
「…………何に取り憑かせる予定だったんですか?」
『カボチャ』
「…………」
『定番はカボチャ大王だろうけど、レディが進化するのに大王はないだろう? だから、カボチャ女王になるようにしてあったんだけど…………せっかくデザイン考えたのに、惜しいなぁ』

 まったく悪びれる様子もなくそう言った松戸に、正守はわざとらしく溜息をついてみせた。

「あまり派手なことをすると、祖父に生きていることを知られますよ」
『う〜ん。それは困るねぇ。僕は構わないけど、繁守くんはショックを受けるだろう。バレてからも彼が友情を抱いてくれるかどうかは解らないけど、もしそうだったら、友の死を二度も聞かされることになるだろうしね』
「でしたら、烏森への手出しは無用に願います」

 自分の死期をはっきりと悟っているような松戸の言葉に内心驚きつつも、言うべきことは言っておかなければときっぱりと言い切った正守に、『残念だねぇ』と言いつつもコウモリはふよふよと飛び回っている。

「祖父にも、烏森には手出し無用と言われていませんでしたか?」
『言われてたけど、今日はハロウィンじゃないか』

 子どもみたいな口調だった。
 そのことがよけいに、正守にここで譲歩するのは危険だと感じさせる。

「それは、日本の風習じゃありません。だいたい、あの謎かけは十代の少年少女には難しすぎますよ」
『それは反省してる。まさかあそこまで引っ張るとは思ってなかったよ。ゼネレーションギャップってことかねぇ』

 ふうと溜息をついた後、松戸はふと思いついたというように続けた。

『お詫びに、老人から一つアドバイスをあげよう』
「……何ですか?」
『報われぬ想いは身を蝕む。諦められるようなら、さっさと諦めたほうがいい』
「…………」
『それで身を滅ぼした者からの忠告だ。まあ、聞き入れるも無視するも君次第だが』

 スッと正守の手が上がり、コウモリを結界で包む。

『どうやら、無視するつもりらしいね。まあ、それも良いだろう。結果として、私は…………』

 言葉が終わるより先に、結界は滅された。

 松戸が何を言いたかったのかは解らない。解らないが、そんなことはどうでも良かった。
 思い切れるような想いだったら、とうの昔に諦めている。なにせ、相手は実の弟だ。現に、報われるとか報われない以前に、想っていることを信じてもらえてもいない。
 それでも、諦められないのだから仕方ないではないか。今更、そんなことを他の人間に言われるまでもない。

「とんだ馬鹿騒ぎだ……」

 呟いて、結界を辿って降りる。
 と、途中で屋上に立った良守がこちらを見上げていることに気付いた。

「どうした? 何かあったのか?」

 烏森にあやかしが侵入した気配はない。
 にもかかわらず、良守が自分を待ち受けているとなると、斑尾が何かを言ったからだろう。
 だが、だからといって弟が自分と二人っきりになるような状況を選ぶとは…………もしかしたら、疑念で頭がいっぱいになったせいで他のことを忘れているのか?

 というか、それ意外には考えられず、弟の単純さに呆然とする。
 馬車馬というか、イノシシというか……これで本当に大丈夫なのだろうか?
 そう思いながら、屋上に降り立つ。

「何、隠してる?」

 きつい眼差しで睨み付けるようにして問いかけてきた良守に軽く肩を竦め、正守ははぐらかすように答える。

「ん〜? 隠し事はいっぱいありすぎて、どれを聞かれてるのか解らないんだけど」
「いっぱいあるのかよ!」
「山ほど」

 しらっとした顔で答えると、良守は何か言おうとして口をぱくぱくと開いた後で頭を抱えて呻き声を上げた。
 そんな彼に気取られないように近づいて背後を取り、正守はその耳元で囁く。

「隠してないのに信じてもらえないこともあるし」
「ぎゃあっっっ!」

 耳を押さえて叫んだ良守は、今の状況が非常に危険なことにようやく気付いたのだろう。サッとその顔から血の気を引かせて、じりじりと兄から離れようとした。
 が、当然ながら正守がそれを許すはずもない。

「結」
「…………っ!」

 自分が兄と一緒に結界に閉じこめられたことに気付いて、良守がだらだらと脂汗を流しながら振り向いた。
 そんな弟に、にこやかに微笑みながら正守が尋ねる。

「お菓子と悪戯、どっちがいい?」
「お菓子!」

 間髪入れずに答えた良守に、案の定ハロウィンのことを何も知らないらしいと思いながら手を差し出す。

「……何だよ?」
「菓子って言ったのおまえだろ? 早くくれないと」
「へ? そっちがくれるんじゃないのかよ!」
「言われた人間が、お菓子を相手にあげるか悪戯されるか選ぶことができるんだよ。おまえはお菓子を選んだんだから、それをくれないと……自動的に悪戯することになるけど?」

 その言葉に慌てて背負っていたリュックを下ろし、だが、良守はそのまま固まってしまう。
 いつもだったら入れてきているケーキを、今日は出る時間が早かったために入れてこなかったらしい。

「悪戯決定かな?」
「お、俺にだって聞く権利あるだろ! お菓子と悪戯どっちがいい!」

 というか、ハロウィンの悪戯は子どもの権利だ。本来は自分ではなく良守にあるものだから、正守は拒むことなく考える。
 弟の悪戯というのがどんなものなのか非常に興味はあった。が、ここで悪戯を選んだら自分の悪戯の権利と相殺しようと言われそうな気がしたので、正守は懐から和紙の包みを取り出す。

「ほら、菓子」
「…………っ!」
「貰い物だけど、和三盆使った干菓子」

 受け取りを拒否するためにか手を後ろにしてぷるぷる首を振り、何か叫ぼうとして開けられたその口の中に干菓子をほいと放り込む。

「△&☆○※っっっ!」
「美味いだろ?」

 聞くが、味が解っているとも思えない。
 それでも涙目で必死に頷いている良守に、にこやかに微笑みながら正守が続けた。

「じゃあ、俺もお菓子を貰うとするか」

 呟いて、拒絶する間も与えずに唇を重ねる。
 必死で歯を食いしばっているのを、顎を抑えることで無理に口を開かせ舌を入れた。

 本当に嫌がっているのなら舌を噛み切ってきそうなものだが、それができないのが良守の甘いところだ。
 だから諦めきれないし、つけあがるんだよなぁ。
 そう思いながら、その口の中を蹂躙する。

 上品な甘さに染まった口腔内を舌でなぞり、奥に縮こまっている舌を探る。が、良守も必死なのか、舌は一向にこちらの動きに応えてくれない。
 なので、そこが感じる部分だと解っている上部をくすぐるように探ってやった。
 とたんに、抱き留めている体が飛び跳ねるように動く。それまで離れようと必死だった腕から僅かばかりだが力が抜けたことが解った。

 その機を逃さずにもっと深く抱き込んで、より優しく繊細に口の中を刺激してやる。
 しばらくそれを続けていたら、体だけじゃなく、逃げていた舌からも力が抜けた。それに乗じて、舌を絡める。

「…………っ!」

 一瞬だけ体が強ばったが、すぐにだらりと弛緩した。
 快楽に素直な良守のそこが熱くなっていることを感じ、深い口づけを解いて、その耳元に囁く。

「いい加減、認めてくれ……」
「や…………」

 何を言われているのか解っているのかいないのか、良守は緩く首を振った。
 それを追うように頬や耳朶、瞼に口づけを落としながら、懇願の声音で続ける。

「おまえが好きなんだ」
「…………あに…き……」
「弟だって解っていても止められないくらい」

 言いながら、袴の脇から手を入れる。
 下着を押しのけて直に触ってやると、そこはもうすっかり熱く固く勃ち上がっていた。

「…………んっ!」

 もうすっかり快楽に押し流されているのだろう。抵抗するどころか、刺激を求めるようにこちらの手に欲望を押しつけてくる。

 この数ヶ月で、良守の体は自分の意に応えてくれるようにはなった。
 だが、この一瞬が過ぎれば、すぐに自分の気持ちを否定して走り去ってしまうのだ。
 その度毎に、砂の城を造っているような気になる。虚しくも、鬱々とした気分に。

『報われぬ想いは身を蝕む』

 不意に蘇ってきた松戸の言葉に眉を顰め、それを振り払うように正守は荒く息を継ぐ弟の唇に再び口づけを落とした。
 今度は容易く応えてくるその舌を吸いながら、弟の欲望を煽る指に力を込める。

「…………っ!」

 一瞬、良守の体が強ばった。
 触れている舌が痙攣しているのが解る。

 立ちこめる精の匂い。ぐったりと弛緩した体。

 この一瞬だけは自分のものだ。
 良守の体を抱き寄せたまま、正守は昏い眼差しを宙へと投げていた。 
2007年ハロウィン記念