手綱持つ者 |
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(注:少しですが、残虐表現があります。駄目な方は引き返してください) 「頭領、そのあたりで……」 刃鳥の声に、正守は手を止めて呟いた。 「その呼び方は駄目だろ、刃鳥」 「…………」 「俺はもう『頭領』じゃないんだから」 そう言って微笑みかけてくる正守の顔は、以前と変わらない。 彼の周りに広がる、数瞬前まで人間だったはずのものの山と、むせかえるほどの血臭が嘘のようだ。 「……聞く者など誰もいないのでは?」 「ん〜。でも、相手は異能者だしねぇ」 そう言いつつも、正守の声音には真剣味が薄い。 当然だ。ここは、異界。あやかしとしての力に付け加え、結界師としての能力までも使って、正守はこの場所を完全に通常空間から切り離している。 それでも、正守がそんなふうに言ったのは、その呼びかけが通常の場所で出てしまった場合、刃鳥が責められると解っているからだ。 なにせ、表向きの正守の立場は、夜行預かりの使役用あやかしでしかないのだから。 「ま、気をつけるにこしたことはないだろ?」 言いながら、正守は軽く手を振った。 次の瞬間、山となっていた屍が青白い炎に包まれる。 幾度見ても凄まじい力だ。炎が消えた後には、灰どころか塵すら残らない。 その所行と、以前とまったく変わっていないように見える笑顔のギャップに引き攣りそうになる顔を、意志の力で刃鳥は押さえつけた。 目前の彼は、確かに人間ではない。 だが、その本質が変わってしまったわけではないのだ。逆鱗に触れさえしなければ、相変わらず部下思いの有能な男のままだ。 「……そうですね。気をつけます」 そう答えると、「良くできました」という顔でニコリと笑われる。 半年ほど前、正守は治療専門の術者ですら手の施しようがないほどの重傷を負った。部下を庇ってのことだ。 もちろん、あやかし退治の中でのことだったが、その攻撃があやかしが放ったものではなかったことを、刃鳥も、当然ながら正守も気付いていた。 夜行は若く活気のある集団で、リーダーである正守は十二人会の一員であることを隠してもいない。 それを快く思っていない人間は、裏会の中に大勢いる。 その中の一人の手が延びたのだということは、明白だった。 誰もがその死を確信した。嘆き悲しみ、運命に対する呪詛の言葉を放ち、自分が身代わりになればと叫んだ。 その沈痛な雰囲気の中、息を引き取ったかに見えた正守が不意に起き上がったのだ。その身に凄まじいほどの妖気をまとわせて。 夜行のメンバーも驚いたが、もっと驚いたのは彼を敵視していた勢力だろう。 彼等はすぐさま正守を狩ろうと動き出した。 結界師としての能力を持ったあやかしという存在に怯えたのか、あやかしにまで堕したと糾弾することで墨村家を追い落として烏森に手を伸ばそうと企んだのか、それとも、純粋に正守という存在が疎ましかったのか。中には、あやかしは滅さなければならないという単純な動機を持った者もいたのかもしれない。 正守を滅するべきだという動きはあっという間に広がっていき…………このままでは危険だと夜行の誰もが思い始めた頃、正守が動いた。 十二人会に出向いたのである。 そこで何があったのか、刃鳥は知らない。 帰ってきた正守は「もう大丈夫だから」と言うだけで、詳しい説明はしなかったからだ。 ただ、自分を悪用しないと絶対に言い切れる術者と契約する必要があると言って、弟に会いに行き…………帰ってきた時には調伏された証拠だと言って、目立つ首輪を付けていたのだ。 正守のそんな姿を見て、「下僕として裏会に従うことと引き替えに、命を救ってもらう」ということで、十二人会と話を付けたのだ。と誰もが思ったのだろう。 それ以来、正守を排斥する動きはかなり治まったのだが…………。 妙だと、刃鳥はすぐに気付いた。 まったくと言って良いほど、十二人会からの干渉がないのだ。正守があやかしになる以前にはそれなりにあった面倒な仕事や裏のある依頼の押しつけもない。 連絡をよこすのは、奥久尼ばかり。それも、内容は依頼というよりは相談のような雰囲気だ。 これで、おかしく思わないはずもない。 たぶん、十二人会は崩壊しているのだろう。生き残っているのは奥久尼のみ。当然、その状況をもたらしたのは正守だ。 刃鳥はそんな仮説を立てた。 が、当然、それを口にしたことはない。今現在の状況でそんな話が噂ででも流れたら、裏会が大混乱に陥ることは必至。 夜行にだって、頭領である正守があやかしと化し、下僕の印をこれ見よがしに付けていることで動揺しているメンバーもいるのだ。状況をこれ以上複雑にする必要もない。 ある程度皆が落ち着くまで、何も起こらないでほしい。 そう願っていた刃鳥の願いはあっさりと破られた。 主に絶対の忠誠を誓う下僕となったならば、排斥する必要はない。それどころか、そんな正守を手に入れようと企んだ様々な勢力が蠢き始めたのだ。 正守から下僕の印である首輪を剥ぎ取り、自分の所有印を刻もうとした者。夜行のメンバーを人質にして、代理使役者ということになっている刃鳥に無理矢理命令させようとした者。 中でももっとも愚かだったのは、良守を襲おうとした輩だろう。 襲うと言っても、代理使役者を変更させるべく強制しようとした程度の作戦で、その上、未遂どころか計画段階だったが、正守の報復は凄まじかった。 それまで行動を起こした者たちも総て骨も残さず消滅させられていたが、それすら安楽な運命と見えた。 なにせ、彼等は意識があるまま、狂うことも許されずに切り刻まれたのだ。 それを為している正守はといえば、本当に嬉しそうな顔で弟がいかに可愛いかを語り続けていた。 目を閉ざしてさえいれば、度が過ぎてはいるが、ただの弟自慢だ。 だが、目を開けば…………。 以来、刃鳥は夜行の活動を諜報部門に大幅にシフトさせた。 計画段階で事を潰し、正守が自ら出向かなくても良いようにしようとしたのだ。 それでだいぶ事は減ったのだが……やはり、強大な力を持つ下僕を思う様に操るということに誘惑される者は多いらしい。今までことを起こした者たち全員が行方不明になっているというのに、それでも行動を起こそうとする者はいる。 「あ〜〜。良守に会いに行こうかな」 もはや自分たちしかいない異界の中で、ぼやくように正守が呟いた。 大量の血を浴びると、あやかしの本性を強く刺激されるらしい。それを制御するためには、良守に会いに行くのが一番らしいのだ。 それが、良守が彼の主であるからなのか。それとも、人間であった頃からそうだったからなのか、刃鳥は知らない。 知らないが、良守に任せておけば悪いようにならないことは解っている。 「湯浴みしてから行かれることをお勧めします」 「……そんなに臭い?」 「私は鼻が慣れてしまったので感じませんが、たぶん。良守くんに心配を掛けたくないのなら、念には念を入れるべきかと」 そう進言すると、正守が真面目な顔で頷いた。 良守の話をしたり、会いに行く前に、正守は人間だった頃よりよほど人間らしい顔を見せる。 彼があやかしになった事で、いろいろ……本当にいろいろ問題は出てきたが、それでも、今の彼の方が幸せそうで、楽しそうで。 できれば、このままでいてほしいと思う。 そのためにも…………。 「先日、亜斗羅からお勧めのケーキ店を教えてもらいました。湯浴みしている間に、そちらの店のお勧めを買ってくるように指示しておきましょう」 「ありがと」 ケーキを前にした弟の笑顔を想像したのか、本気で嬉しそうだ。 そんな表向き下僕、実際は未だに上司な男を見遣りながら、刃鳥は心の中で良守に「頑張ってね」とエールを送ったのだった。 |
08.06.22.初稿 |