月見の菓子
「今年は晴れたな」

 正守の言葉に、傍らに座っている良守が頷く。

 台風が過ぎ去った後のせいか、月は常より清かに輝いていた。
 縁側にはススキが飾られた花瓶。里芋他出始めの秋の味覚が盛られた皿。それと、もちろん月見団子だ。

 こういう季節行事を大切にするのは墨村の家の決まりのようなもので、昔は十五個飾られた団子を誰が何個食べるかおおいにもめたものだった……まあ、主に良守がわめいていただけなのだが。
 思い出し笑いに口元を緩めた正守に、良守が胡乱気な視線を向ける。

「なんだよ?」
「……月見団子、全部食べてもいいぞ」

 くつくつと喉を鳴らしながらそう言うと、夜目にも良守の顔が真っ赤になったのが解る。

「あ、兄貴こそ、食えばいいだろ!」
「あ、そういえば、土産があったんだ」

 そう言って懐からそれを取り出すと、良守が軽く首を傾げる。

「それ、中国の菓子だよな?」
「ああ。この前の仕事が、大陸渡りのあやかし絡みでな。調査のために行かせていた部下が、土産にって香港で買ってきた」
「へぇ」

 感心したように頷いた良守に月餅を手渡すと、良守は興味津々という顔でそれを受け取り、まずはと二つに割った。
 月明かりの下でも、黒い餡の中に埋まった黄色が鮮やかに浮かび上がる。

「いただきます」

 良い子の挨拶の後でパクリとそれにかぶりついた良守は、奇妙奇天烈としか表現しがたい顔になる。

「なんだ……これ?」
「菓子の名前なら、月餅だが」
「……や、そうじゃなくて。この黄色くて、ちょっと塩気のあるホロホロしたもの…………栗だと思ってたんだけど、違うよな?」

 確かに栗に見えなくもない。特に月明かりの下では。
 ということは、良守は栗蒸し羊羹のような味を予想していたのだろう。
 ならばよけいに戸惑っただろうなと思いながら、正守は口を開いた。

「ああ。それは、塩漬けにした卵の黄身だ」
「は?」
「卵の黄身」
「はぁぁぁぁぁ?」

 本気で驚いたのか、目がまんまるになっている。
 こんな顔見たの何年ぶりかなぁと内心でほくそ笑みながら、正守は口を開いた。

「なんでそんなに驚く? 卵を使う菓子くらい、おまえだって作るだろ?」
「ケーキ作るのに卵を使うのと、茹でた卵の黄身をそのまま使うのは別だろ!」
「まあ確かにな」

 そこで言葉を切り、少し考えて続ける。

「中国では月餅は月見の季節限定の菓子だそうだし。月見っていえば、卵ってことなんじゃないのか? 風習に文句を言っても仕方ないだろ?」
「……そ、そりゃそうかもしれないけど」
「だいたい、この菓子に黄身が入ってなかったら、けっこうキツイと思わないか? 中国の餡って、油入ってるだろ? 舌触りはいいが、甘いし、けっこうきついぞ」
「それは……」

 手にした一切れに注意深くかぶりつき、今度は餡と黄身の味を別々に味わっているらしい。

「うん。確かに。単体より、一緒の方がいいかも」

 唇についた月餅の皮のカケラがついたペロリと舌で舐め取った良守の姿に、一瞬で喉が干上がったような気がした。
 だが、良守は自分の何げない仕草で兄を煽ったことなど気付いていないらしく、月餅にちみちみと齧り付いている。
 そんな弟に気付かれないように距離を縮めつつ、正守が告げた。

「最初は、中国人は日本人と食の好みがかなり違うから、月見の菓子がこんな味わいなのかと思ったんだが……聞いた話だと、中国では一個を家族で分けて食べるらしい」
「へぇ。そうなんだ……って、兄貴っ!」

 感心したように頷いている良守の手を掴み、そのまま正守は弟が手にしている月餅にかぶりついた。
「ちょっ……!」

 少量ならば、本場の月餅もけっこう美味しい……いや、もしかしたら、これはそれを掴んでいる指の持ち主のせいなのかもしれない。
 細く、筋張ったそれに舌を絡め、しゃぶり、吸い上げる。

「…………っ!」

 短く息を呑んだその音にそっと視線だけを上げると、顔を真っ赤に染めた良守が泣きそうな顔でこっちを見ていた。

「どうした?」

 唾液で濡れた指を舌でたっぷりと嬲った後で尋ねると、良守は唇を戦慄かせた後で顔を伏せる。

「なんで……こんなことするんだよ?」

 父さんだってじじいだっているのに。
 付け加えた声は震えていた。
 そんな声を聞くことが嬉しいのだと、本音を晒せば嫌われてしまうだろうか?
 そう思いながら、正守が呟く。

「味見かな?」
「…………っ!」
「待ちきれなかったんだ」

 既に火が付いた状態では拒絶することもできないのだろう。良守は、ただただ怨じるような眼差しを投げてくるばかりだ。
 そんな弟に、うっそりと笑いながら正守が続ける。

「烏森が終わった後で、二人だけで月見をしようか」
「…………このクソ馬鹿兄貴」

 罵倒のはずの言葉は甘く掠れていた。

 それを肯定と取って、正守がもう一度その指先に口付ける。
 4週間後、片見月は縁起が悪いと言って誘う時にはいったいどんな菓子を用意しよう? 
 僅かに餡の甘さを残したその指先に舌を這わせながら、正守はそんなことを考えていたのだった。 
友人から香港土産で月餅をもらったので
書いてみました。(笑)
08'09.25.初稿