柳絮の才 |
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「どうしたのよ、良守?」 時音の呼びかけに、良守は驚いたように振り向いた。 「え?」 「何か変よ。体調が悪いみたいじゃないけど……」 「あ〜〜」 いつも通りにしていたつもりだったのに、どうやらバレバレだったらしい。思わず目を泳がせてしまった良守に、僅かに顔をしかめて時音が尋ねてくる。 「何かあったの?」 「別にたいしたことじゃ……」 そう言ったとたん、キリキリと時音の眉が上がっていくのが解った。 本当にたいしたことじゃない。ちょっとしたことで落ち込んでいる……というか、悩んでいるだけだったので、時音のその表情の変化が理解できず、思わず後ずさってしまう。 そんな良守に、据わった目になった時音が口を開いた。 「あんたねぇ。今まで、そうやって情報を自分のところで止めておいたばっかりに大事になったことがどれだけあると思ってるの! そんなに私が信用できないわけ?」 「ち、違う!」 慌てて首だけじゃなく両手までも振って否定の意を示してはみたものの、今までの行いが悪すぎたせいか時音はまったく信じてくれていないようだ。 「違うなら、さっさと吐く!」 「はいっ!」 争いに巻き込まれるつもりはないのか離れたところでそっぽを向いている斑尾と、ぎゃはぎゃは笑っている白尾を恨めしげに見てから、良守は口を開いた。 「……夕食の後で父さんが点けたテレビに、柳の綿毛が飛んでる映像流れてて」 「柳の綿毛?」 「北京辺りの風物詩なんだって言ってた。柳って、種はタンポポみたいに綿毛になってて、春にはそれが大量に飛ぶんだって」 「へぇ」 頷きながらも、時音の目は未だ険しいままだ。たぶん、柳に関するあやかしの話にでも繋がると思っているのだろう。 違うのになぁ。と思いつつ、だが「違う」と言うだけでは絶対に納得してくれなさそうなので、良守は溜息をつきながら続けた。 「で、じじいがそれを見ながら『柳絮の才』って話をしたんだ」 「『りゅうじょのさい』?」 「柳の綿毛のことを柳絮って言うらしい……昔、中国のエライ人が急に降り出した雪を見て、何に似てると思うって尋ねたら、甥の方は『空中に塩を撒いたのに似てる』って答えて、姪は『柳の綿毛が飛ぶのに似ている』って答えたんだってさ。二人の答えを聞いたそのエライ人は、姪の答えに感心して『柳絮の才高し』って言ったって話」 その答えに「へぇ」と呟いた後で、時音が不思議そうな顔で尋ねてくる。 「で、それが何なの?」 「前に俺も言ったことあるんだよ」 「…………?」 「雪降ってるの見て『粉砂糖みたい』だって! それ思い出しちまって…………」 蘇ってきた記憶に頭を抱えてしゃがみ込んでしまった良守に、時音が呆れたような声を出す。 「それだけ?」 「……だから、たいしたことないって言っただろ」 無理矢理聞き出したくせに。 そんな思いを込めた恨めしげな視線を投げると、時音がきっぱりと言い切った。 「その子は柳の綿毛が飛ぶ場所に住んでたんでしょ。だったら、それがたとえとして出て来て当然じゃない。あんたは、ケーキ作りが趣味なんだから、粉砂糖をすぐに連想するのが当たり前。それを笑うような相手なんて、気にすることない」 「別に笑われたわけじゃ……」 「じゃあ、何が引っ掛かってるのよ?」 尋ねられて、どう答えようか良守は悩んだ。 あの日、寒さにカーテンの隙間から外を覗いてみたら、雪が降っていた。 久しぶりのその情景に見入っていたら、「風邪をひくぞ」と言いながら兄が後ろから抱きすくめてきたのだ。 確かに寒かったし、つい数時間前まで体を繋いでいた余韻が残っていたこともあって、何となく甘えたい気持ちになった。 たぶんそのせいだろう。その背に体を預けて「粉砂糖みたいだ」と言ってしまったのは。 その瞬間、兄はちょっと妙な顔をして、何かに思いを馳せるように視線を宙に泳がせた。 すぐに普段通りの兄になったから、その時は、何でもかんでもケーキ作りに繋げるヤツだと呆れられたくらいだと思っていたのだが…………。 『まあまあ。ヨッシィーだってお年頃ってことなんじゃないのかな?』 そろそろ取りなす頃合いだと思ったのか、白尾がそう口を挟んでくる。 「え?」 『好きな相手には格好つけたいもんだろ?』 ヒャヒャヒャヒャと笑いながらの白尾の台詞に、斑尾が何とも微妙な顔をしている。 それを受けてこっちを向いた時音に、慌てて良守は手を振った。 「兄貴だから!」 「え?」 「粉砂糖みたいって言った相手、兄貴!」 「正守さん? だったら、ずいぶん前の話じゃないの? そんな子どもの頃の発言、気にしてるほうがおかしいと思うけど?」 兄が墨村の出て行く前の出来事だと判断したのだろう。そう言ってきた時音に、良守は引き攣った顔を向ける。 実際はこの前の冬の話だったのだが……そんなことを知られるわけにはいかない。兄弟であんなことをしているとバレる危険を考えたら、仲が悪いと思ってもらっていた方がいいに決まっている。 そんな主人の窮地に、溜息混じりの声で斑尾が助け船を出してくれた。 『男のプライドってヤツかい。めんどくさいねぇ』 何もかも解っているだろう妖犬の、話を逸らすためらしい台詞に納得したらしく、時音が呆れたような顔になる。 「あんたねぇ。正守さんはあんたより七つも年上なんだから、知識のあるなしで比較したって仕方ないでしょ」 「…………」 ここまできたら、もう誤解を解くこともできない。 なので、顔を引き攣らせて黙っていると、理性で納得しがたい話なんだと判断してくれたらしい。溜息を一つついて呟く。 「まったく……落ち込むのは構わないけど、仕事はちゃんやるのよ」 「解ってる」 頷いてみせると、時音は「じゃあ、私はあっちの方を見回りしてくるから」と言って、駆け出していった。 たぶん、落ち込むだけ落ち込んで、さっさと立ち直れということなのだろう。 その後ろ姿をぼんやりと見送っていた良守に、面倒そうに斑尾が声を掛けてくる。 『何が引っ掛かってるんだい?』 「…………なんで俺なんだろ?」 『は?』 「だってさ、兄貴は昔からもてたし……今だって、近くに頭良くて綺麗な女の人いっぱいいるのに」 『柳絮の才』は非凡な女性を示す言葉だと祖父が言った瞬間、気付いてしまったのだ。 雪を見て「砂糖」などと呟いた自分に、兄は『柳絮の才』という言葉を思い出したのだろう。そして、その言葉にふさわしい女性のことを考えていたに違いない。 あの後も兄はそれまでと変わらず接してきてくれているが……いや、もしかしたら風情のカケラもない自分に呆れて自然と距離を置こうとしているのかもしれない。そういえば近頃、ほとんど顔も見ていない…………。 思考にますます落ち込んでいく自分に肩を落とした良守に、呆れた口調で斑尾が呟く。 『アンタ、「蓼食う虫も好き好き」って諺知らないのかい?』 「え?」 『簡単に言えば、正守は悪趣味だってことさ』 「…………」 周りに素敵な女性が山ほどいるの自分を選んだことを悪趣味と言うなら、確かにそれは悪趣味なのだろうが…………何となく腹が立つのは何故だろう。 そんな良守に、斑尾がしらっとした顔で続けた。 『それで納得できなかったら、本人に聞くしかないだろうねぇ』 「え? いや、それは…………」 こんなこと聞けるはずないだろ。と言おうとしたところに斑尾が続ける。 『どうなんだい?』 そう尋ねた斑尾の視線は、何故か自分よりずっと上へと向けられている…………。 何やら悪い予感がしておそるおそる顔を上げた良守の喉から、押し殺した悲鳴が上がった。 「いつからそこにいたんだよっ!」 「ん〜。時音ちゃんに問い詰められ始めた辺り?」 「…………っ!」 全部聞かれた! その思いに慌てて逃げだそうとした瞬間、足に何かが絡みついて、良守はそのまま宙へと吊り上げられてしまう。 「な、な、なにっ!」 「そろそろあやかしタイムも終わりだろ? 一緒に戻ろう」 「え、遠慮する!」 慌てて叫んだが、兄がそれを受け入れるはずもない。 「遠慮するな。じっくりしっかり教えてやらなきゃいけないことがあるみたいだし」 「…………っ!」 何やら凄くヤバイことになっているような気がするのだが、念糸でぐるぐるに縛り上げられている状態ではどうすることもできない。 思わず縋るように向けた視線の先には、既にこっちに背を向けた斑尾の姿が……。 「主人を見捨てて逃げるなぁ〜!」 『あたしゃ馬に蹴られたくないんでね』 「時音ちゃんには式神に伝言届けさせるから」 あっという間に逃げ道が総て塞がれる。 「なんでこんなことに……」 ひょいと兄に肩に担ぎ上げられてしまった良守の声は、正守にも斑尾にもあっさりと無視され、そのまま夜の闇に消えていったのだった。 |
「りゅうじょのさい」 柳絮は柳の綿毛のこと。また、その風に散るさま。 非凡な才女のことを示す。 08'09.14.初稿 |