鳰の浮巣
 なんか猫みたいだなぁ。と思う。
 構えば毛を逆立てて怒るのに、こっちが他のことに気を取られていると拗ねる。己の価値観に忠実で、他者の意見にほとんど左右されない。十四歳という年齢のせいもあってか、パワーよりもしなやかさを感じさせる動きもそれっぽい。
 だが、それより何より…………。

「気色悪いからヤメロ」

 烏森での戦いを上空から見ていると、結界を足場にして駆け登ってきた良守が開口一番そう言った。

「……気色悪いって、おまえねぇ」

 久しぶりに会う兄に対して、その言いぐさは何なんだ。と言うより先に、袖を掴まれた。
 うつむき加減での、その仕草。
 意中の相手にそんなことをされたら、大抵の男は胸をときめかすだろう。ご多分に洩れず、思わず胸を高鳴らせてしまった正守に、良守は少し不機嫌そうな声で呟いた。

「座れ」
「は?」
「つべこべ言わずに、座る!」

 ワケが解らない。
 が、ともかく袖を掴まれたのは下へと引っ張るためだということは解った。たぶん、うつむいているのは自分と視線を合わせないためだろう。
 一家の中で良守以外に猫っぽいなと思うのは母だが、彼女にはこういうところはない。同じことを母がするならば、そこにはちゃんとした計算が働いてる。
 良守のこれは無意識であり、だからこそ最強の攻撃なのだ。
 こういうのを天然と呼ぶんだろうな。と思い、その遺伝子を弟に伝えたであろう父を少し恨みながら、正守は指示通りに結界の上に腰を下ろした。

「良守?」

 これで良いのかと尋ねるつもりで名を呼ぶと、背後で良守も座る気配がした。
 そして、背に暖かい感触。
 驚いて振り向くと、良守は自分の背に背をくっつけるようにして座っていた。絶対に振り向かないと決めているのか、その顔は彼方へと向けられている。
 僅かばかり見える顔のラインは、厳しい……というより強ばっていた。「なんでこんなことをするのかなんて、絶対に聞くな!」と語るその表情に、ふと肩から力が抜ける。
 そして、気付いた。自分が、作り物でない笑みを今日初めて浮かべていることに。
 顔を戻し、良守と同じように彼方へと視線を向ける。少し背を後に倒してもたれ掛かるようにすると、もぞりと良守が動いて、同じようにもたれ掛かってきた。
 何故か、笑いがこみ上げてくる。
 陰口を叩くしかない奴等の言葉を気にするなど自分らしくもない。夜行のことを『鳰の浮巣』と言われたからどうだというのだ。今は不安定でも、時間を掛けて確固としたものにすればいいだけのこと。
 ただそれだけなのに、思い悩むなど馬鹿馬鹿しい。
 くつくつと笑い始めると、「バカ兄貴」という呟きが聞こえてきた。声の調子からすると、呼びかけではない。先刻までの自分に対する感想というところか。
 どうして解ったのかと尋ねても、明確な答えなど返ってきはしないだろう。
 良守のこれは、本能的なものなのだ。
 まったくもって猫のようだ。普段はそっけなくても、こっちが弱っていると寄ってきて慰めてくれる。

「なんか……愛されてるって実感するねぇ」
「はぁ? キモいこと言ってんじゃねぇよ、クソ兄貴!」

 こっちが立ち直ったことに気付いたらしく、背を離そうとする良守の足を素早く結界で固定する。

「げっ! 何すんだ!」
「もうちょっとお兄ちゃんに付き合ってよ。久しぶりなんだからさ」
「久しぶりなのは、俺のせいじゃねぇ!」
「はっはっはっ」

 笑いながら背を預けると、勢いを付けて背をぶつけてくる。
 体格差もあってか、まったく痛くない。が、心は揺さぶられる。それも激しく。

「おまえねぇ。そういう可愛いことするんじゃないよ。俺にも我慢の限度ってものが……」
「ワケの解らないこと言ってないで、この結界を解けよ!」
「…………自分で解いてみな」

 本当は、このまま拘束しておきたい。できれば、ずっと。
 だが、そんなことができるはずもなく。

「くそっ! そのねじ曲がった根性、どうにかしろ!」

 叫びながら必死で結界を解こうとしている良守のぬくもりと声の響きを背に感じながら、正守は天を見上げる。
 無意識に必殺の攻撃を繰り出してくる相手では、そう長く理性が保ちそうもない。
 いつまで耐えられるかなぁ。
 この件に関しては鳰の浮巣よりもなお浮き沈みの激しい自分の感情を持て余しながら、正守はぼんやりと月を見つめていた。
「におのうきす」
鳰は、池や沼にいる水鳥
鳰の巣は浮巣で、水の増減や波によっていつも揺れている
このことから、不安定なこととたとえとして使う
また、世の中の浮き沈みの激しいたとえ
07'08.20.初稿